Narcissistic Extension的理想像
飯島愛さんの死に寄せて、
Narcissistic Extension(ナルシスティック・エクステンション)について書いたが、
さらに実例を記そうと思う。
Narcissistic Extension的、子どもの理想像(一例)
成績優秀(オール5、限定)
絶対服従
- 話を聴くときは、両手をひざ。
視線、まゆ、口元、指先など、動かさない。
まゆをひそめる、口を曲げる、貧乏ゆすりをする、などしない。 - お言葉ですがこう思います、学校でこう習いました、などの意見を一切言わない。
親の言うことは絶対。 親が黒と言えば、黒。 - 涙を流さない。こらえる様子を見せない
殴られても、ののしられても、尊敬のまなざしで見つめ続ける。 - 左の頬を殴られたら、
「ありがとうございます。右の頬もどうかお願いいたします」
と右の頬を差し出す。
絵に描いたような、仲むつまじい姉妹
互いに助け合い、世の模範たる姉妹愛を築く。当然、喧嘩をしてはいけない。
理想像にしたてるための手段
食事の時間を教育の時間にあてる
夕食時は、家族全員が揃うため、子どもを ”正しく導く” ための絶好のチャンス。
ご高話をたまわりながらの食事は、味がわからない。
残すことはゆるされないので、完食。
肉体的暴力
- 殴る
- 蹴る
- 他人の目がある場合は、見えないところでつねりあげる
言葉の暴力
- おまえのような成績の悪いヤツの保護者として、恥ずかしくて学校に行かれるか。
- そんな成績で、部活をしたいだと?
- 同じに育てているのに、どうしておまえだけ、そんなに馬鹿なんだ。
- そんなこともわからないのか。
- あんたさえいなければ。
- あんたのせいで。
表情の暴力
- 怒り、憎悪、さげすみの視線
- ヒクヒクひきつるコメカミと口元
父母の連携
父親(Narcissistic Extension)の暴力や暴言に対して、
母親(Narcissistic Extensionではない)は
- その場でかばわない。
- 蔭でこっそりと、行うこともできたろうに
抱きしめない、
あなたはいい子よ、大好きよ、と言わない、
守ってやれなくてごめんなさいね、と言わない。 - その代わりに、
あんたのせいで、わたしがひどい目にあう、と罵倒し、
ヒステリックに泣きわめく。
子育てへの熱意
18時に帰宅し、夕食時の”訓示”を欠かさない。
父親が夕食の食卓に不在なのは、年に数回~十数回。
”子育て”に対する”責任感”が強く、”妥協”しない。
あきらめることなく、懸命に努力する。
「こんな馬鹿には言っても無駄だ。どうでもいいから勝手にしろ」
というような責任放棄をしない。(非常に立派)
父親の威厳
子どもらの前で、常に”完璧で絶対的存在”であり続ける。
したがって、以下のような姿をさらさない。(非常に立派)
- 休日にパジャマ姿でゴロゴロ。
- 飲みすぎて、千鳥足で帰宅。
- 弱みを見せる。
- つい本音が出る。
- 子どもに対し非を認め、あやまる。
子どもは望みどおりに育ったか
- 片方はオール5で、現役で国立大と東京六大学に合格。
かつ、品行方正に育つ。 - 一方は、成績不良、素行不良のろくでもないものになる。
生まれつき粗悪品だったのが原因であり、育てた両親の責任ではない(とのこと)。
子どもに与える影響
- 毎晩のように怖い夢を見て、深夜、自分の泣き声で目を覚ます。
- 自分が死ねば、家族、親戚、近所、学校一同、心から安堵し、喜ぶのだと心から信じている。
- その他、与える影響ははかりしれない。
補足
以上は、わたし自身の過去の一部です。
自分なりに努力をしましたが、
最後まで、”理想の子ども像” にはなれませんでした。
おそらく10%も、希望に沿えなかったように思います。
そして、受け入れられることはありませんでした。
殴られるのは、いつもわたしでした。
「(わたしたちは注意を払い、身を守っているのに、どうしてあなたにはできないの?)
殴られそうだなと察しなさい。ばかね」
と母は言いました。
でも、わたしには察することはできませんでした。
殴られた理由は、理解できないことが多かったです。
理解できないため、改善できず、
同じ”失敗”をくりかえしました。
理解できないのは、自分が馬鹿だからだと考えました。
親が悪いとは考えませんでした。
- 子どもに伝える能力、
- 子どもが正しく理解したかどうかを把握する洞察力、
- 子どもを導く手段と方向の選択、
- 子どもとの距離のとり方、
- 子どもの愛し方(注)、などなど
(注) すべての子どもたちには、無条件な愛が必要だそうです。 無条件な愛とは、なんの判断も批判もくわえず、そのまま愛することです。
問題ありなのは、親の方かと思われます。
が、
親に非があるかもしれないなどとは露とも思わず、
わたしなんかが生きていて本当にごめんなさい。
そう思っていました。
子どもですから、いつもそう思っていたわけではありません。
無邪気に笑ったり、遊んだりすることもありました。
バファリンを2~3シートだと思いますが、飲んだのは中学生のときです。
夜中に吐き戻し、朝は普通に目覚め、普通に学校に行きました。
”今”はどうなのか
父母
父も母も、(昔と比較すれば)別人のようにおだやかで、
また、わたしに理想を押しつけることはほとんどありません。
父と母、それぞれの育ち方は、
わたし以上に壮絶なものがあります。
父と母のことを尊敬し、愛しています。
ケンカすることもありますが、仲良くしています。
わたし
ナルシスティック・エクステンションがなければ、今のわたしは存在しません。
- ハングリーなこと。
- 妥協しないこと。
- 究極に束縛された状態から、一気に解き放ったため、
考え方、生き方など、どこにも基点がなく、完全に自由なこと。 - 自分で自分をプロデュースし、
ゼロから、価値観念、進む道を構築できたこと。
ただし、年を重ねるごとに、そうでもないということに気づきます。
わたしは、両親の生き方、考え方に、強い影響を受けています。
さまざまな情報をニュートラルな立場で入手し、
その中から自由に選択しているつもりが、
実際は、
父母から与えられた情報が、わたしの中で大きなウェイトを占めているのです。
苦々しく感じることはありません。
おもしろいなと思います。
モチベーションの原動力
父母にほめてもらいたいという思いが、いまだに
モチベーションの大きな原動力となっています。
先日見た映画「母のいる場所」で、
主人公(泉)が兄?に
「おかあさんにほめられたくてがんばってきたのに、(死んだら?)イヤよ!
何のために努力したかわからないじゃない!」
というようなことを、叫んでいました。
泉の母親もまた、
ナルシスティック・エクステンション もしくはそれに近かったのでしょうか。
こころの問題
普通に社会生活をしているように見えますし、
むしろ、人並みを抜きん出て、明るくエネルギッシュで仕事熱心のように
見ていただいているように存じます。
しかしながら、こころは病んでいます。
一生、この病とつきあっていかなければならないことでしょう。
自殺願望は多かれ少なかれ、いつもあります。
このブログは、遺書のつもりでスタートし、遺書のつもりで続けています。
亡くなるのはきょうかもしれませんし、
100歳になっても、エネルギッシュに生きているかもしれません。
子育てとは
親の個性、子の個性
- 世界中の子どもたちが、”教科書?どおり”に”正しく?”育てられる
- それぞれの親たちが不完全なままに、子どもを育てる
どちらを選択するかと言えば、後者だ。
子育ては、それぞれの親の個性であり、”結果”もまた子の個性。
完全な親は存在しない。
完全な子育ては存在しないし、存在してはいけない。
みんなちがって、みんないい
子どものころから、考え続けていたことがある。
- ”よい子”とはなにか。
- 生まれつきの ”欠陥品” は存在するのか。
- 育て方に ”教科書” はあるのか。 ”まちがい” はあるのか。
- ”できそこない” は存在するのか。
- ”わたし” は生まれてきてはいけなかったのか。
- ”わたし” はできそこないか。
そう、自分に問い続けてきた。
身体的障害、知的障害、心の障害など、障害を持って生まれてきた子はどうなのか。
ヤクザの家に生まれ、ヤクザとしての価値観を身につけ、ヤクザとして生き、ヤクザとして死んでいく人生はどうなのか。
狼に育てられた少女はどうなのか。
長い間ずっと考えて、導いた答えは、こうだ。
- ”行い”の中には、
客観的に、誰がどう見ても、
”それはよくない” と判断されるものがあるだろう。
たとえば、法を犯すこと、人の道に反することは、一般的によくない行いとされるだろう。 - しかし、
人として全体を見た場合、
人はひとしく、よくもない。悪くもない。
人生の中で、
”悪いとされる行い”ばかりの時期があるかもしれない。
もしかしたら、一生、
”悪いとされる行い”ばかりに手を染めている場合もあるかもしれない。
それでも、
人として全体を見た場合、よい悪いの判断を下すことは誰にもできない。
神にも仏にもお天道さまにもできない。
それがわたしの結論だ。
説明の言葉が足りないと思われ、
不消化に感じる方がいたら申し訳ない・・・。
親の個性、子の個性、どちらにも正解はない。
みんなちがって、みんないい。
心が元気なときは、そう考えている。
1度カウンセラーと話してみるのも良いかも。
自分の思いこみだけじゃなく、自分自身を客観視できるようになりますよ。
もっと、そのような社会的サポートを受けても(拒否しないで)良いのではないでしょうか。
長文をお読みいただきありがとう!
カウンセラーや心療内科、精神科は、いろいろなところへ通ったように思います。
きっと、”相性のいいセンセ”に出会えていないのでしょうね。
拒否するつもりはないのですが・・・。
客観視、しているような気がするけど、
そうかぁ、
まだまだ曇りガラスか。
つっぱらずに、カウンセリングなどに助けを求めるね。