燃えカスもいいかもしれない
このところ燃えカスのような時間を過ごすことが多い。
ハングリーでなくなったせいだろうか。
しあわせなのだろうか。
夫は、つい最近まで、
怒って飛び出し、何週間も帰って来なかったりした。
本人にも原因がわからず、対処のしようがなかった。
話しかけても、テレビを見て笑っている。
外出に誘うと、不機嫌に顔をゆがめる。
長い間(わたしに対して)そういう夫だったのに、
このところ一緒に出かける。よく笑う。話をする。
「取扱い注意って札、胸につけておきなさいよ。
知らずにどれだけひどい目にあってきたことか。ハハハ」
「ですよね~。ハハハ」
などと、本音で文句が言えるようになった。
長い年月、あきらめずに待ち、
やっと勝ち得たものだろうに、このからっぽ感はなんだろう。
子ども時代、
「おまえさえいなければ」
「同じように育てているのに」
「おまえのような馬鹿は」
「やっぱりおまえか」
と言われ続けた。
生まれつきの失敗作というものが、人にもあるのだなと思った。
小学生のとき、肯定する言葉が聞きたくて、
「(わたしの)いいところは・・・?」
と尋ねるた。
引き合いに出されたのは、5年も6年も前のことだった。
(虫栗の)虫退治に夢中で、栗のおいしさには思い至らなかったのだろう。
”勉強ができない”というレッテルを貼られ、
部活禁止。外遊び禁止。
机に向かっても、 教科書を開くと吐きそうになった。
圧力の受けすぎだ。
部屋で、何もしない時間を過ごした。
長い時間が空白のまま流れていった。
強く殴るほど、
深く心をえぐるほど、
子どもは従順になる、
そう信じて疑わなかったのだろうか。
「左の頬を殴られたなら、どうぞ右も、と、差し出せ」と、
言われるまま信じていたのだから、親がXXなら子もXXだ。
中学のとき、バファリンをひと箱を飲んだ。
夜中に吐き戻し、翌日は普通に学校へ行った。
世のためと願ったが、消え去るのは簡単ではない。
高校時代、人と目が合っただけで涙があふれた。
学校に行くのが怖くて、休みがちだった。
学校にたどり着けても、窓から脱走し、逃げ帰った。
「悲劇のヒロイン気取りね」
と言われたが、
まったくもって、そのとおりだ。
結婚してほどなく、ふたたび闇にこもった。
電話線を抜き、
窓とカーテンを閉め切り、
玄関のチャイムに耳を塞いだ。
布団をかぶって震えていた。
夫はそんなわたしを無視した。
視線を合わせようともしなかった。
リビングで高笑いしている夫と息子たちの声を聞きながら、
ひとり自分の部屋で、
朝から晩まで、
どうやって死のうかと考えていた。
これらのことは、
今のわたしを知る人には想像もつかないことだろう。
これらのことは、わたしの原点だったはずだ。
がんばれたのは、飢えていたからだ。
ハングリーな感情は、ときとしてエネルギーとなる。
プラスの方向に向かわせ、わたしは力を得てきたはずだった。
わたしのハングリーはどこに行ったのだろう。
決してなだめ封印することのできなかった負の感情。悪魔たち。
布団に入ると、ここぞと飛び出て大騒ぎをはじめる悪魔たち。
悪魔は敵であり、同志でもあった。
台湾の旅先で、
年老いて小さくなった両親の背中を見て、いとおしいと感じた。
悪魔たちは、ビールの泡のように、シュワシュワと消えた。
彼らはどこへ行ったのだろう。
「だったらオレ、ずっとやなヤツでいた方がいいんでね~?」
夫が笑った。
この状態に慣れるまで?
燃えカスとして過ごすのもいいかもしれない。
しあわせも、不しあわせも、燃えカス状態も、そう長くは続かないだろう。(根拠ナシ)