コップの容量とやさしさ

それぞれの持つ、コップのサイズは決まっている。
そこに、水が溜まっていく。

受け入れる水の量に、余裕があるときは、
自分を客観的に見られる。
他人にもやさしくしてあげられる。

しかしながら、
どれほど心臓の剛毛を育て、
器のサイズを広げても、
コップの水が、いっぱいになり、
あふれてしまうときがある。

心がパツンパツン。
いっぱいいっぱい。

そんなときは、
自分の心の叫びが聴こえない。
ましてや、他人の声は届かない。

 # コップの水がいっぱいになってしまいました
 # どうしたらよいでしょう
と、困りはてた人がそこにいる。
それなのに、
わたし自身のコップの水もいっぱい。
助けてあげたいのに、助けてあげられない。

苦しいけれど、でも、仕方ない。
そういうときは、
まずは、自分のコップの水が減るまで待つ。

たとえ「時間」に「余裕」があろうとも、
助けてあげられない自分を責めたりしない。
時間とコップは別なのだ。

まずは、自分のコップの水が減るまで待つ。

水が減らなきゃ、やさしくできない。
ガンバルだけが愛じゃない。
しばらく距離を置くこともまた、愛。

コップの水の減らし方1につづく)

おはなし:かめきち先生
勝手な解釈:弟子のまついし

6 thoughts on “コップの容量とやさしさ

  1. かめきち より:

    かめきちは様子を見ている。

    距離を置くときは、自分に訳があって
    相手に非がないことを相手に分かるようにする。

    無理に相手の間合いに入ってコマンドしないように
    お気をつけなすって

  2. Showmone より:

    そうか、ああそう、そうですね。
    いきなり理由もわからず、距離を置かれたら、捨てられたと思うかもしれません。

    夫はコップが満ちてしまうと、何もいわずに他人との距離を置く。
    それと同じように、誰もがきっと、何もいわずに距離を置くことでしょう。

    今やっとそれを「そういうことなのかな」と理解する方向に向いているけれど、
    誰もがそうだとは限らないですね。
    むしろ、理解できずに苦しむ人の方が多いことでしょうね。

    傷つけることは不本意です。
    修行はまだまだ。これから先が長い道のり。

    相手の間合いに入ってコマンドするという意味が深そうで、おそらく理解できていない予感。

     ***

    アバターを見にいったとき、
    助手席でお話をなされている方に、胸の筋肉をお見せしていたら、
    後ろから、「パッパー」とクラクション。
    信号が青になっておりやした。

    今、胸の筋肉を向ける練習をしてるんじゃ、ちっと待っとれや。(なんちて)

  3. かめきち より:

    >無理に相手の間合いに入ってコマンドしないように

    えぇっとですね。
    木の棒と布の服しかないのに(自分のコップの水が満タン状態なのに)、彷徨う鎧やメイジキメラを
    探しに行くんじゃないと。

    相手の水を減らす力を備えていないくせに、できると思って近づきすぎて
    ボロボロになって帰ってくるんじゃないと。

    相手は強力な武器【自分の悩み】を抱え、
    「どうだ、私の武器は凄いだろう」と言い、武器を取り上げようと
    かかってくるようなら(相談にのるようなら)
    相手を負かしてやりたい。と思って振り回してしまいます。

    相手は武器を成仏させて欲しいわけではなく、
    「あなたの武器はあなたにとって強力なものなのね」
    と理解して欲しい状態なのです。

    そのとき、相手のコップの水は初めて減り始めると思います。

  4. Showmone より:

    やはり深かったです、理解していなかったですね。

    メイジキメラは非常にわかりやすくて、笑いました。
    オイラは、「ただの布きれ」と「こん棒」で挑もうとしていました。

    (当面の)目的は、「相手のコップの水を減らしてあげること」 <だけ>!ですね。

    そのためにしてあげられることは、限られている。
    してはいけないことの方がむしろ多い。

  5. かめきち より:

    正確には、「してはいけない」「すべき」という意識を
    「してもいいけど、しなくてもいい」「するといいけど、できなきなくてもいい」という
    規制を緩める考え方が大切なのです。
    この切り替えが、水を減らすこと(自分自身を許すこと)にやがてつながります。

  6. Showmone より:

    自分のコップの水を減らすことと、
    相手のコップの水を減らすこと。
    それらは別の問題なのに、同時に解決しようとしている自分がいる。

    目の前で困っている人がいる。
    その人のコップの水を減らしてあげたい!
    わたしは強く願っている。

    そのために最善の努力を尽くすべき。
    そう思ってしまう。
    朝起きたらカーテンを開けるように、
    ごく自然に、そう考えてしまう。

    でも、<すべき> ではなく、
    <してあげてもいい>。
    <しないという選択があってもいい> なのだね。

    しない自分を、
    できない自分を、
    責めない。許す。

    それはきっと、他の事象にも、
    たとえば家族を許すことにも通じるのだろう。

     ***

    まずはテメェのケツが拭けるようになったら、
    (=自分のコップの水を減らせたら)ダナ。

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