コップの容量とやさしさ
それぞれの持つ、コップのサイズは決まっている。
そこに、水が溜まっていく。
受け入れる水の量に、余裕があるときは、
自分を客観的に見られる。
他人にもやさしくしてあげられる。
しかしながら、
どれほど心臓の剛毛を育て、
器のサイズを広げても、
コップの水が、いっぱいになり、
あふれてしまうときがある。
心がパツンパツン。
いっぱいいっぱい。
そんなときは、
自分の心の叫びが聴こえない。
ましてや、他人の声は届かない。
# コップの水がいっぱいになってしまいました
# どうしたらよいでしょう
と、困りはてた人がそこにいる。
それなのに、
わたし自身のコップの水もいっぱい。
助けてあげたいのに、助けてあげられない。
苦しいけれど、でも、仕方ない。
そういうときは、
まずは、自分のコップの水が減るまで待つ。
たとえ「時間」に「余裕」があろうとも、
助けてあげられない自分を責めたりしない。
時間とコップは別なのだ。
まずは、自分のコップの水が減るまで待つ。
水が減らなきゃ、やさしくできない。
ガンバルだけが愛じゃない。
しばらく距離を置くこともまた、愛。
(コップの水の減らし方1につづく)
おはなし:かめきち先生
勝手な解釈:弟子のまついし
かめきちは様子を見ている。
距離を置くときは、自分に訳があって
相手に非がないことを相手に分かるようにする。
無理に相手の間合いに入ってコマンドしないように
お気をつけなすって
そうか、ああそう、そうですね。
いきなり理由もわからず、距離を置かれたら、捨てられたと思うかもしれません。
夫はコップが満ちてしまうと、何もいわずに他人との距離を置く。
それと同じように、誰もがきっと、何もいわずに距離を置くことでしょう。
今やっとそれを「そういうことなのかな」と理解する方向に向いているけれど、
誰もがそうだとは限らないですね。
むしろ、理解できずに苦しむ人の方が多いことでしょうね。
傷つけることは不本意です。
修行はまだまだ。これから先が長い道のり。
相手の間合いに入ってコマンドするという意味が深そうで、おそらく理解できていない予感。
***
アバターを見にいったとき、
助手席でお話をなされている方に、胸の筋肉をお見せしていたら、
後ろから、「パッパー」とクラクション。
信号が青になっておりやした。
今、胸の筋肉を向ける練習をしてるんじゃ、ちっと待っとれや。(なんちて)
>無理に相手の間合いに入ってコマンドしないように
えぇっとですね。
木の棒と布の服しかないのに(自分のコップの水が満タン状態なのに)、彷徨う鎧やメイジキメラを
探しに行くんじゃないと。
相手の水を減らす力を備えていないくせに、できると思って近づきすぎて
ボロボロになって帰ってくるんじゃないと。
相手は強力な武器【自分の悩み】を抱え、
「どうだ、私の武器は凄いだろう」と言い、武器を取り上げようと
かかってくるようなら(相談にのるようなら)
相手を負かしてやりたい。と思って振り回してしまいます。
相手は武器を成仏させて欲しいわけではなく、
「あなたの武器はあなたにとって強力なものなのね」
と理解して欲しい状態なのです。
そのとき、相手のコップの水は初めて減り始めると思います。
やはり深かったです、理解していなかったですね。
メイジキメラは非常にわかりやすくて、笑いました。
オイラは、「ただの布きれ」と「こん棒」で挑もうとしていました。
(当面の)目的は、「相手のコップの水を減らしてあげること」 <だけ>!ですね。
そのためにしてあげられることは、限られている。
してはいけないことの方がむしろ多い。
正確には、「してはいけない」「すべき」という意識を
「してもいいけど、しなくてもいい」「するといいけど、できなきなくてもいい」という
規制を緩める考え方が大切なのです。
この切り替えが、水を減らすこと(自分自身を許すこと)にやがてつながります。
自分のコップの水を減らすことと、
相手のコップの水を減らすこと。
それらは別の問題なのに、同時に解決しようとしている自分がいる。
目の前で困っている人がいる。
その人のコップの水を減らしてあげたい!
わたしは強く願っている。
そのために最善の努力を尽くすべき。
そう思ってしまう。
朝起きたらカーテンを開けるように、
ごく自然に、そう考えてしまう。
でも、<すべき> ではなく、
<してあげてもいい>。
<しないという選択があってもいい> なのだね。
しない自分を、
できない自分を、
責めない。許す。
それはきっと、他の事象にも、
たとえば家族を許すことにも通じるのだろう。
***
まずはテメェのケツが拭けるようになったら、
(=自分のコップの水を減らせたら)ダナ。