クライエント中心療法
「ロジャース クライエント中心療法」 有斐閣新書
残念ながら本書は、ロジャース著ではなく、日本の7人の学者による共同執筆だった。
生い立ち
ロジャースは大学での実践で、ある女性クライエントと関わった。
彼は、彼女への憎しみと責任感とのはざまで葛藤した末に、数ヶ月もの間、逃亡。
ロジャースは、彼女の感情にのみこまれ、自分自身を見失ってしまったのだろう。(=同調)
「数ヶ月もの間、逃亡」というのは、いかにロジャースが苦しんでいたかの表れだろう。
そうした苦しみの体験が、彼の自由で自発的な療法を生むきっかけとなる。
非 支持 指示的療法
非支持ではなく、「非指示」です。失礼いたしました。
(かめきち先生、ご指摘ありがとうございます)
非指示つまり、カウンセラーが具体的な指示を出すことなく、
クライエントが自分の力で結論を出せるよう、自立に導く方法です。
支持ではなく指示でおながいします。
変遷の様子からすると、ロジャース自身もしっくりくる名前を考えていたみたいですね。
根幹の概念は伝わるのだけど、看板が難しかったのかなぁ。
> 変遷の様子からすると、ロジャース自身もしっくりくる名前を考えていたみたいですね。
> 根幹の概念は伝わるのだけど、看板が難しかったのかなぁ。
ここらへんが何度読んでも何のことを指しているのかよくわからないので、
一晩眠って、すっきりした頭でまた考えてみます。
本は難解で、数行で気分が悪くなりまする。
「マトメ」はこれで打ち切りになる予感・・・。
放送大学で受講しようかとひらめいたのはいいけれど、
2月28日が締め切りだったのですよね、4月受講生は。(残念)
単位は取れないけれど、放送を聴くのは本を読むより幾分、楽しそうです。
心理カウンセリング序説
ロジャースが治療のとき掲げている概念というか、考え方は
「本来、人は自らの力で困難を乗り越えることができる」というようなもので
つまり、カウンセラーはそれを手助けする役割を果たすために存在するという立ち位置です。
以前お伝えしたと思います。
看板というのは療法の名前のことを指しています。
周りから揶揄されて、ロジャースの療法は名前を変更しています。
概念を抑えていないと、何のためにカウンセラーはそのような
姿勢でいるのかということが、段々ブレてくると思いますよ。
> 周りから揶揄されて、ロジャースの療法は名前を変更しています。
これは、非指示的カウンセリングという名称から、
来談者(=クライアント)中心療法という名称に変えたことを意味しているのですね。
> 概念を抑えていないと、何のためにカウンセラーはそのような
> 姿勢でいるのかということが、段々ブレてくると思いますよ。
「指示しない」ということが大事なのではなく、「なぜ指示しないか」ということが大事という意味ですね。
指示しない理由は、以下、ですね。
> 「本来、人は自らの力で困難を乗り越えることができる」というようなもので
> つまり、カウンセラーはその手助けする役割を果たすために存在するという立ち位置です。
・クライアント自身に乗り越えられない困難はない
・クライアントは自分ですべてを決定する力がある
・カウンセラーの仕事は、その <手助け> をすること
そういうことですね。
・否定しない
・評価しない
・指示しない、意見を言わない
・ありのままの相手を受け入れる
ということですね。(これはどこかのサイトを要約したように思います)
・「あなたはその場合、こういう行動を取るべきです」 と、言わない
・「あなたのそういう考え方は間違っています」 と、言わない
そういうことですね。
常に念頭に置いておかなければ、少しの気のゆるみでブレてしまうように思います。
ロジャースによると、これまでの自己の認識とそれに対する周りの事実との不一致の経験が
自己不一致と繋がっていき、いわゆるコップの水が溜まり易い状況を生んで行く
と考えられています。(「自己がAだと受け止めたことが、周りや事実・現実はBであり、それを自己が受け入れられない場合や、Bという内容を苦痛に感じながらも周りに無理やりあわせること」が自己不一致)
すべてを自己一致させる必要はありませんが、自己不一致となった場合でも
自分で考えて行動をし、得た結果はストレスの原因にはなりにくいし
その耐性もできやすく、結果も受け入れ易いのです。
カウンセリングが終わったあと、クライエントは自分がもともとから居た環境に
戻っていきます。
カウンセラーの指示がなくなったとたんに、自分で考えられなくなり
カウンセラーに依存するようになっていてはいけないのです。
カウンセラーがクライアントに依存されるのが「良いカウンセラー」ではなく
クライアントがカウンセラーから自立できるように
元の場所に戻っても、環境に適応できるよう(コップの水が溜まりにくくなるよう)に
手助けをするのがカウンセラーの役割です。、
わかりやす~い~!
「本」でクラクラした頭がスッキリしやす、ありがとうございます。
> 元の場所に戻っても、環境に適応できるよう(コップの水が溜まりにくくなるよう)に
> 手助けをするのがカウンセラーの役割です。、
「依存」は「簡単」です。
誰もが、何かに寄りかかっていたいと、本能的に思うことでしょう。
親、親友、つれあい、子ども、神仏、そして、カウンセラー。
寄りかかれるものなら、何にでもすがることでしょう。
しかし、365日24時×一生!、そばにいてもらうことはできないのです。
誰もが、いつかは、(本来は?常に?)
自分で自分のことをナントカしなければならない。
(感想続く)
> ロジャースによると、これまでの自己の認識とそれに対する周りの事実との不一致の経験が
> 自己不一致と繋がっていき、いわゆるコップの水が溜まり易い状況を生んで行く
たとえばある若人が、ガサツで大胆だけれど、豊かな発想と自由な思考ができる、とする、
しかし、家族から、そんなありのままを否定される。
そのまま彼がもし、受容してもらえる人を他に見出すことができなければ、
ぐれちゃいますね、わたしならぐれちゃう。
そして、ちょっとしたことでキレちゃうことでしょう。(=コップの水が溢れかえる)
もしも出会った人が、
「あなたはありのままでいいのですよ」
という姿勢で心から受け入れてくれたなら、彼は、どれほど安堵することでしょう。
彼は「自分」を「自分」として受容することができ、
「自分」で考えることをスタートするのですね。
> 自分で考えて行動をし、得た結果はストレスの原因にはなりにくいし
> その耐性もできやすく、結果も受け入れ易いのです。
「自分」で考える。
誰かから押しつけられたものではなく、自分で考え、自分で決め、行動したことなのだから、
たとえ失敗しても、ストレスはないのですね。納得できるわけですね。
そうですね。
最初から全部を受け入れられることは難しくても
「相手が悪い」という理由は少なくなります。
また、こういう状況に陥り易い人は「人から正当な評価を受けたい」
「こうでなければならない」「善か悪しかない」という思い込みに
左右され易い方が多い傾向です。
順序としては
A「様子をうかがう」→B「声をかける」→C「相手の感情の言葉を要約する」
→D「そのような感情をもっていることを自身に気づかせる」→E「冷静に感情を見つめさせる」
→F「Aのときの状況を振り返り、その時とは別の選択肢や認識もあることを気づかせる」
→G「自身でもう一度決断する(これまでの苦い思いと決別して、新しい決断を下す)」
→H「自身で取った行動をどのように受け止めたか、相手の考えも受け入れられるか」
→I「カウンセリングの終了を決断してもらう」
というのが流れの一例です。
3ヶ月で最終回を迎える最近のドラマとは違うので、どれだけかかるかはわかりません。
Aのときクライエントが持っていた人生における重大な決断を、
まずはすぐに決めようとせずに一旦先送りし
冷静に感情や状況を考えるようになってからGで再決断すれば
そのときよりも環境に適応しやすくなっているだろう
(自身の受け止め方【認知】も変わっているだろう)ということなんですよね。
オラが得た知識は、おだんごさんが手元の集められた本の内容の一部だと思います。
HOW to的な内容はないかも知れませんが、参考になれば光栄です。
> 最初から全部を受け入れられることは難しくても
> 「相手が悪い」という理由は少なくなります。
全部という意味は、クライエントのありのままのすべてを、という意味ですね。一度に、その人のすべてを把握することはできないし、
把握できた内容を、すべて許容することはできない。
カウンセラーは、その時点でできうる限り、
クライエントを理解し、受け入れればよい、という意味ですね。
理解しようと努力してもらえたことで、
受け入れようと努力してもらえたことで、
(たとえそれが、すべてでなかったとしても)
クライエントは、「カウンセラー?が悪い」と感じることはない。(という意味でしょうか)
> また、こういう状況に陥り易い人は「人から正当な評価を受けたい」
> 「こうでなければならない」「善か悪しかない」という思い込みに
> 左右され易い方が多い傾向です。
こうでなければならない、などの思い込みがあるため、そういう状況に陥るのでしょうね。
また、コップの水があふれていれば、そうした思い込みに囚われやすくなりますね。
誰もがそうした思い込みのアリ地獄にはまる可能性があるのではないだろうか?とも思います。
> 3ヶ月で最終回を迎える最近のドラマとは違うので、どれだけかかるかはわかりません。
クライアントがカウンセラーに依存せず、自立することができたとき、(Iですね)
それが「祝福される最終回」なわけですね。
言葉のかけかたひとつで、
よりいっそう依存させてしまう結果になるでしょうし、
自立させる方向にも、持っていかれるのでしょうね。
カウンセラーの、プロとしての慎重な経験の積み重ねが、モノを言うことでしょうね。
> オラが得た知識は、おだんごさんが手元の集められた本の内容の一部だと思います。
> HOW to的な内容はないかも知れませんが、参考になれば光栄です。
重い本が手元に4冊あります。
図書館の方が本棚から探して、移動図書館で持ってきてくださったので、
まったく読まずに返すのもあんまりだとは思います。
気分のよいときに少しは目を通せたらと思います。
***
魔法使いだなぁと思うのは、特殊で鋭敏な臭覚があることです。
文章の行間からすらも、臭いを感じてしまうのです。それも、プンプン強く。
たとえば、「それは上から目線じゃろ!」とか、バレバレ。
もともと備わっている嗅覚に対して、さらに「理論」を装備してしまいましたね(すげえ)、という認識です。
ですから何が怖いかって、地震カミナリ火事かめきっちゃん~。(すみましぇん)
本は本であり、先生は先生です。
(本はおもしろくねー!わからねー!読みたくねー!)← 殴
>>>「自分」で考える。
>>>誰かから押しつけられたものではなく、自分で考え、自分で決め、行動したことなのだから、
>>>たとえ失敗しても、ストレスはないのですね。納得できるわけですね。
この部分を受けて書いています。
>> そうですね
>> 最初から全部を受け入れられることは難しくても
>> 「相手が悪い」という理由は少なくなります。
>全部という意味は、クライエントのありのままのすべてを、という意味ですね
いえ、クライエントに自己不一致(自分の認識と周りの認識・事実とのズレ)があることを
クライエント本人が逃避せずに向かい合えるかどうかということです。
クライエントの状況を書いております。
申し訳ありません。
ゆっくり読み直して、あらためて考えてみます。
ありがとうございます。
コメントの「5.」に、自己不一致について、詳細を記入いただいていました。
そして、
> すべてを自己一致させる必要はありませんが、
と書かれています。
最初から全部、の”全部”は、上の”すべて”を意味しているのですね。
大変失礼いたしました。
>> 最初から全部を受け入れられることは難しくても
”受け入れる”というのは、
”クライエント本人が、自己不一致と向かい合えるかどうか”
という意味になるわけですね。
コップの水があふれているクライエントの心は、
”自己不一致”と正面から向き合うことができず、逃げているのでしょうね。
>> 「相手が悪い」という理由は少なくなります。
誰かが指示したことを言われたままに行い、失敗した場合は、
指示した人が悪い、と考えてしまうかもしれませんね。
自分で考えて決めた行動であれば、誰かを責める理由は少なくなりますね。
話が反れるかもしれませんが、
他人(自分以外の何か)のせいにしている状況は、
楽なようでいて、実は苦しいものなのだと感じました。
出口のない狭い空間で、息苦しくあえいでいるようなイメージです。
守るでもなく、攻めるでもなく、あえいでいる。そんなイメージです。