ある一線を越えてしまうのは
ある一線を越えてしまうのは
コップがいっぱいになってしまうとき
なのかもしれない
もしも誰か
そっとその水をすくいとってやれたなら
あの人も
その瞬間を迎えずに済んだかもしれない
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コップがいっぱいな人は
存在が「凶器」だったりする
わたしもきっとそう
いっぱいなときは、きっとそう
行きあたった人をめった刺し
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自分も含め
「想像力」に期待してはならない
近い将来のことすら想像できない
ましてや人さまのことなど到底わからない
人さまに(自分にも)期待してはいけない
わかりはしないのだということが前提だ
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きのうの講習での話
ホスピスの看護士さんで
患者さんに”巻き込まれる”タイプの人は続かない
続いている人はどこか冷静な部分がある
続いている人は(患者さんの愚痴を山ほど聞いても)疲れない
(かめきち先生の言葉が結びついた)
実はカウンセリング演習の参加者には、そのような関係者さんも多く
ジャンルも様々でございます。
人事関係者ばっかりだと思ってたら、そうでもなかった。
目的はセルフコントロールだったり、コミュニケーションだったりと
こちらもいろいろ。
困っているのは相手なんだから、自分が同調したら
相手を受け入れることができなくなってしまうのだそうです。
教室でバイトをしていたとき、傾聴のスタンスでいたんですが
授業以外の話で気の強い生徒さんに
「そんなことしても、どうせ△△先生(彼女の友達の講師)と違って
うわべだけで同調してるわけじゃないんでしょ!」
みたいなこと言われてショックだったなぁ。
今にして思えば、相手は講師を抱え込みたくて、パソコンの操作の話以外の話や
ひどい言葉を言って、ゲームをしかけているだけなのに落ち込んでたっけ。
あれから、どうしていいかずっと迷ってたけど
同調しようとしても、体調が悪くなるだけでしっくりこなくて
同調がいいことでもないのだと分かって、少し気持ちが軽くなりました。
体調、悪くなりますね、横になると起き上がれなかったです。
同調しなくてもよいのですね。
視点を変えて接することにより、相手の方がすーっと楽になっていくのがわかります。
これなんだな、と感じます。
相手の方のコップの水が減ると、「わたしの言い分」を聞いていただける土壌ができます。
これは世界の事象に広く通用する、珠玉の魔法。
先生の知識のエッセンスをどれほど理解できているか、あやしいですが、
わたしも信者wとして、教えを身体で広めていきたいと願います。