ある一線を越えてしまうのは

ある一線を越えてしまうのは
コップがいっぱいになってしまうとき
なのかもしれない
もしも誰か
そっとその水をすくいとってやれたなら
あの人も
その瞬間を迎えずに済んだかもしれない

 ***

コップがいっぱいな人は
存在が「凶器」だったりする
わたしもきっとそう
いっぱいなときは、きっとそう
行きあたった人をめった刺し

 ***

自分も含め
「想像力」に期待してはならない
近い将来のことすら想像できない
ましてや人さまのことなど到底わからない

人さまに(自分にも)期待してはいけない
わかりはしないのだということが前提だ

 ***

きのうの講習での話

ホスピスの看護士さんで
患者さんに”巻き込まれる”タイプの人は続かない
続いている人はどこか冷静な部分がある
続いている人は(患者さんの愚痴を山ほど聞いても)疲れない

(かめきち先生の言葉が結びついた)

2 thoughts on “ある一線を越えてしまうのは

  1. かめきち より:

    実はカウンセリング演習の参加者には、そのような関係者さんも多く
    ジャンルも様々でございます。
    人事関係者ばっかりだと思ってたら、そうでもなかった。
    目的はセルフコントロールだったり、コミュニケーションだったりと
    こちらもいろいろ。

    困っているのは相手なんだから、自分が同調したら
    相手を受け入れることができなくなってしまうのだそうです。

    教室でバイトをしていたとき、傾聴のスタンスでいたんですが
    授業以外の話で気の強い生徒さんに
    「そんなことしても、どうせ△△先生(彼女の友達の講師)と違って
    うわべだけで同調してるわけじゃないんでしょ!」
    みたいなこと言われてショックだったなぁ。
    今にして思えば、相手は講師を抱え込みたくて、パソコンの操作の話以外の話や
    ひどい言葉を言って、ゲームをしかけているだけなのに落ち込んでたっけ。

    あれから、どうしていいかずっと迷ってたけど
    同調しようとしても、体調が悪くなるだけでしっくりこなくて
    同調がいいことでもないのだと分かって、少し気持ちが軽くなりました。

  2. Showmone より:

    体調、悪くなりますね、横になると起き上がれなかったです。
    同調しなくてもよいのですね。

    視点を変えて接することにより、相手の方がすーっと楽になっていくのがわかります。
    これなんだな、と感じます。
    相手の方のコップの水が減ると、「わたしの言い分」を聞いていただける土壌ができます。

    これは世界の事象に広く通用する、珠玉の魔法。
    先生の知識のエッセンスをどれほど理解できているか、あやしいですが、
    わたしも信者wとして、教えを身体で広めていきたいと願います。

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