渡る世間に鬼は・・・どちら?
(愛する人たちに祈りをこめて)
幼い子どもにどう伝えるか。
・渡る世間に鬼はなし、それとも鬼ばかり?
・人を見れば泥棒と思え、それとも七度(ななたび)尋ねて人を疑え?
わたしは、鬼はなしと伝えたい。
人を疑う前に、身の回りをよく探しなさいと伝えたい。
悪意や故意と感じられることのほとんどは、誤解なのだと伝えたい。
いじめられて泣いている子に
「かわいそうに。〇〇ちゃんは悪い子ね。ひどいわね」
と、どうか言わないで。
幼い子に、
「あなたのお友だちは悪い子です」
と宣告することは、いじめられた事実以上に残酷だからだ。
いじめられたという事実は、母親のフォローなどにより、
「人生の一幕」で済ますこともできる。
ところが、お友だちが悪い子という宣告は、
人生の一幕で終わらず、子どもの心に暗い影を落とす。
幼い子どもに
「世間は悪意で満ちているんだよ。性根の悪い人ばかり。気をつけなさい」
と、伝える必要性があるのだろうか?
「かわいそうに」
と抱きしめてやる。そこまではいい。
子どもの気持ちが落ち着いたら
「〇〇ちゃんはどうしてそうしたんだろうね」
と一緒に考えたい。
百歩譲って、ホンモノの悪意があったとする。
その場合でも、なぜその悪意が生まれたのか考えたい。
広い視野で、深い愛情で、その「悪意」に思いを馳せたい。
悪意はこの世には存在しないという前提で、子どもに接したい。
みんなあなたを愛している。
みんないい人。
「サンタクロースがいるんだよ」
と伝えるのと同じ愛情で、幼い子どもに、そう伝えてやりたい。

返報性の法則
鬼と接すれば鬼となり
仏と接すれば、是仏と接する
のです。
つまり、自分が相手を鬼だと思って接すれば
本当に鬼に見えたり、鬼になったりするし
仏だと思えば、これ即ち仏に会えるのですよ。
しかし、もっと突っ込むと禅道になるかもしれませんが
それは相手ではなく、自分の姿を相手に映しているだけなのです。
心理学には「返報性の法則」というものがあり
人に何かをしてもらうと、自分も相手に返さなければならない
という気持ちになるのだそうです。
先に人にしてもらうことを待つか、自分からするか
それが鬼と仏の違いではなかろうかと。
Comment by かめきち — 2010年3月7日 @ 7:05 PM
茂音パソコン塾の生徒さん、外勤で出会うみなさん、その他、周りの人はみなさん、チャーミングな人ばかりだなぁと、思っていた。
どうしてわたしの周りは、そうなんだろうと思っていた。
これからも、そうなんだろうと思う、チャーミング。
小さい頃にたくさんの人から「レッテル」を貼られて、
自分は悪い人間なのだろうかと、山ほど考えた。
レッテルこそが悪い人間を作る、そんなことも、そのときに考えた。
悪いレッテルは悪い人間を作る。(胸の芯がズキズキ痛む)
レッテルを貼ってはイケナイ、イケナイ、イケナイ。
どうか世界中から「レッテル」がなくなりますように!
いいレッテルも悪いレッテルも、わたしは嫌いだ。
どこまでも澄みきった瞳で。いかなる判定も下さない!
(下してるけどねー、息子に、おめーマジ性格わりーな、とかw)
Comment by Showmone — 2010年3月7日 @ 7:54 PM
自分の姿を相手に映している、というところを読んでからチャーミング、という下りを読み、「ブハハ!!!」と茶を噴きだした。
推敲しているうちに、さては、かめきち先生の文章を忘れたな。<自分
誤解を招く表現でござった。みなさま一笑に付してくださいませ。
もう一度先生のコメントを読み直して、あらためて適切な内容を書こうと思います。3/13
Comment by Showmone — 2010年3月7日 @ 11:19 PM