パソコンの調子が悪いからと依頼を受け、実家に行ってきました。
往復の電車内で、スマートフォンの本をパラパラと読みました。
「i文庫」の「厳選151冊(内蔵)」の中の一冊、「学問のすすめ」です。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」
というはじまりの部分は有名ですが、読むのはおそらくはじめて。

文章は想像していたよりも、読みやすいです。
「これでもか!これでどうだい!」
と、おつむが固く想像力が貧困な者たちに説いている、そのさまもおもしろいです。

簡潔に箇条書きになおせば、それほど多くを語っているわけではなさそうです。

「文字は学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌鋸の入用なるが如し。槌鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者は、これを大工と言うべからず。正しくこの訳にて、文字を読むことのみを知って物事の道理を弁えざる者は、これを学者と言うべからず。いわゆる論語よみの論語しらずとは即ちこれなり。我邦の古事記は諳誦すれば今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引をなすこと能わざる者は、これを帳合の学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を喰う字引きに異ならず。」

たとえば、上の長々と書かれたくだりを要約すると、
「どれほどの知識があろうと、それだけでは、なんの自慢にもならんがな」
ということなわけです。”文字の問屋”、”飯食う字引”というたとえが皮肉です。^^;

「無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに欲は深く、目の前に人を欺きて巧みに政府の法を遁のがれ、国法の何ものたるを知らず、己おのが職分の何ものたるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、その子孫繁盛すれば一国の益はなさずして、かえって害をなす者なきにあらず。かかる馬鹿者を取り扱うにはとても道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威おどし、一時の大害を鎮しずむるよりほかに方便あることなし。」

「人の上に人を造らず・・・」の前提に、まず、「学んでナンボ」ということのようですね。
人の下に馬鹿者ありき。^^;
福沢さんにこきおろされぬよう、「学問」をせねばなりませぬ。

「仏書に罪業深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生まれながら大罪を犯したる科人とがにんに異ならず。また一方より婦人を責むることはなはだしく、『女大学』に婦人の七去とて、「淫乱なれば去る」と明らかにその裁判を記せり。男子のためには大いに便利なり。あまり片落ちなる教えならずや。畢竟、男子は強く婦人は弱しというところより、腕の力を本もとにして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。」

福沢さんは、「男にのみ都合のよい教え」について、「公平ではない」と説いています。
明治5年にして、この論旨!女の上に男を造らず。ただし、女も学問をいたしましょう。男、親、国に依存してはイケマセン。^^;
依存してはいけないというくだりは、以下をご参照ください。

「人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。」

「一身独立して一国独立すること
前条に言えるごとく、国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能あたわず。その次第三ヵ条あり。
第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。
独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人の力によりすがらんとのみせば、全国の人はみな、よりすがる人のみにてこれを引き受くる者はなかるべし。これを譬たとえば盲人の行列に手引きなきがごとし、はなはだ不都合ならずや。或る人いわく、「民はこれによらしむべしこれを知らしむべからず、世の中は目くら千人目あき千人なれば、智者上にありて諸民を支配し上の意に従わしめて可かなり」と。この議論は孔子様の流儀なれども、その実は大いに非なり。一国中に人を支配するほどの才徳を備うる者は千人のうち一人に過ぎず。 」

*「学問のすすめ(リンク先に全文あり)」は、公開後50年を経過しているため、著作隣接権の保護期間は過ぎています。