ニュートラルでいること。

宗教に、
政治に、
思想に、
マスコミの各報道に、
出版物に、

何に対しても、
情報収集には
ニュートラルでいたい。

なるほど。
と、真剣に聞く。
決して軽んずることなく、
先入観にとらわれることなく、
真っ白な心で
まっすぐに聞く。

不明な点があれば、問う。
理解を深める努力をする。

でも、
うのみにはしない。
誰の言葉であっても。

一知識として、
蓄える。

引き出しを
多くするため、
深くするため、
知識を蓄えたい。

でも、
ニュートラル。

ニュートラルで情報収集したい。

情報収集の方法に
好き嫌いがあるかもしれず、
情報そのものに
好き嫌いがあるかもしれず・・・

ニュートラルでいたい、
という願望が
イコール、
ニュートラルである、
ということにはつながらないかもしれない。

偏っているかもしれない。

それでも、
希望としては
ニュートラルでいたい。
ニュートラルが心地いい。

政治論を聞くも

このところ、
政治論?を個人的にお聞きする機会がたびたびあり、
みなさま
それぞれに諸説をお聞かせくださいます。

きょうお聞きしたのは・・・。

世界の頂点に、
ブッシュ大統領よりも誰よりも
影響力の強い存在があり、
世界のできごとすべてを
牛耳っているとの話。

それは、「ルシフェリアン」と言うそうでっせ。
うーん、ハツミミ。

それはそれで、
おもしろかったです。
あれこれ質問したり、つっこんだりしても、
「熱弁で即答」。
ほれこんでいらっしゃるのですね、
ベンジャミン・フルフォードさんに。
聞いていて、わたしも思わず熱くなりやした。

いやしかし、
熱くはなるんじゃが・・・
たとえそれが真実であったとしても、
それはそれでそれかなと。

「ニュートラル」には変化なし。
(すまん a little)

追記:わたし自身はニュートラルではない

ニュートラルの立場で情報収集をした結果、
「自分の考え」が築かれる。

「自分の考え」はニュートラルではない。

この年になると、迷いは、ほぼない。
迷いはないが、
もし、間違っていることに気づいたなら、
即時、180度修正することに抵抗はない。
”くだらぬプライド”は持たぬに限る。

「間違っている」
というのは、絶対的なものではなく、
相対的なものと考える。

誰かが正しいと考えることが
わたしにとっても正しいとは限らず、
その逆も然り。

そのとき正しいと思えなくても、
時間がたち、
正しいと考えるようになることもある。

頭はいつもやわらかく
臨機応変に対応できるようにしておきたいと強く願うが、
しかしながら
この年になると、
今さら修正することはほとんどなく、
日々日記に書きつらねているような
これらの内容が
そのままわたし自身として
ほぼ定着しているのだろう、な。