母のいる場所:NHK BS 衛星映画劇場。(12月5日放送)

(映画から派生して、長文になりました)

痴呆になられた方を、「おわかりにならない方」とお呼びする。
入居されているお年寄りを、お客さまと呼び、ホテル感覚で暮らしていただく。

そんな、お年寄りのための施設に、
母親を預けることになった、あるノンフィクション作家(久田恵さん)
その体験談が本になり、
そして、映画になった。

それが、「母のいる場所(映画)」だ。
映画から、感じるところ、考えるところが多々あった。

(そんな施設で最期を過ごせたら!と、思うわな~)

きょうのこと

きょう、介護の仕事をなされている方と話をする機会があり、
「義母が元嫁の悪口を言うときは、どう反応したらよいのでしょう」
と、愚痴をこぼしました。

「そういうときは、同意してあげればいいのよ。
”そうね、本当にとおりね”って。
そうすれば、そのうち、悪口を言わなくなるわよ」
「介護に限らず、人の話を聞くときは、
否定したり、説教をしたりせず、同意してあげるのがいいのよ」
と、アドバイスをくださいました。
(すてきな方!)

ああ。
そうか。
やっぱりそうなんだ・・・。

「母のいる場所(映画)」 でも、そうでしたね。

「人形」を「姪」と信じている、「おわかりにならない女性」から、
「この子の具合が悪いんです」
と訴えられたとき、
施設長さんは、
「お医者さまをお呼びいたしましょうね」
と答えていましたね。

別の「おわかりにならない男性」は、
何度も何度も、施設の大切な書類を勝手に持ち出してしまう。
ヘルパーさんが、どんなに
「返してください」
と頼んでも、しっかりかかえこんで放さない。
ところが、機転をきかせ、
「社長、その書類はわたくしが今日中に目を通しておきましょう」
と、対応したところ、
「おお、そうか。では頼む」
と、すんなり返してくれましたね。

映画の中の施設では、
いつも、「お客さま」をありのままに受けとめていましたね。
お命に危険が及ぶような場合は別ですが。

義母の救いになるならば・・・

悪口に同意するのは、抵抗がある。

元嫁さん(お義姉さん)を知っているし、
悪口に加担するのはいやだ、
喧嘩両成敗!
そう思っていた。

でも、
たとえ心にもないことであれ、
義母の愚痴を
ありのままに受けとめることで、
義母が楽になるのであれば、

それならば・・・

割り切って
「そうだよね。お義母(かあ)さん、つらかったね。お義姉(ねえ)さん、ひどいね」
そう言ってあげるのがいいんだね?

それが義母の「救い」になるんだよね?

認められ、
受け入れられることで、
義母の心の中に巣食う「負の感情」が、
癒され、
昇華し、

その結果、
義母が悪口を言わなくなったなら・・・。

そのとき、
義母の心は、
平和な感情で満たされているのかもしれないね。

同意してもらうのは難しい

先日の叔母もまた、
心の中の「負の感情」を、浄化できずに苦しんでいるのだろうか。

兄弟姉妹が、”同意”してあげらたらいいのだろうか。

でも、あの面子(失礼!)では、無理。
わたしだってあのとき、”同意”できなかった。

母は
「終わったことをいつまでもグチグチ言うのはやめなさいよ!
誰もそんな話、聞かないわよ! 
(みんなあなたの)思い込みよ!」
と言っていた。

他の兄弟姉妹も、同じことを言いそうだ。

”(ホンモノの)うつ病患者”に「がんばりなさい」といわない”
”性同一性障害の方に「男(女)らしくしなさい」と言わない”
などなど、
まだまだ認知度が低いのが実情だが、
それ以上に、この問題は
世間一般のコンセンサスが得られていないかもしれない。

文化程度の低い国やな。(失礼!)

(逸れるが)文化程度の低い国、日本

先日電車でのこと。
午後2時ごろか。
車内は人がまばらだった。

知的障害を持つ子とその母親が並んで座っていた。
突然、障害を持つ子が、奇声をあげた。

とたん、
ひとりの男性が咳払いをした。
子どもの奇声をうわまわる、大きな咳払い。
「おとなしくさせておけないのか!」
「公共の乗り物に乗せるな!」
と抗議をするかのような。

母子は次の駅で降りた。

まっこと、文化程度の低い国だ!
わたしも同罪だ!

「のど飴、召し上がりますか?」
と、ビッグスマイルで、差し出すという手があったやん!
(今度はそうするぞ!)

考えが違っても、受け止めることができる!

”カウンセリング”、”相手を否定しない”。
そのふたつのキーワードで検索してみたら、
お宝の言葉にたくさん出会えた。

たとえば、このサイトさま

「そうなんだ。あなたはそう思っているんだね」
と、相手の方が言いたいことをすべて、残らず、お聞きする。

そんなふうに聞いてあげれば十分なのだろうけれど、
もしも自分の考えを言う必要がある場合は、
そう。必要がある場合は、ね、
聞いてあげたあとで、
「それでね、わたしはこう思うのよ」
とあとからさらっと追加する。

「おばちゃんは、差別されていると感じていたんだね。
つらかったね。
それでね、(でも、を使わない)
もし、死んだおばあちゃんに聞くことができたなら、
おばあちゃんは、おばちゃんに、
言い訳をしたいことがたくさんあるかもしれない。
ないかもしれないけれど、あるかもしれない。
そしてね、
誤解を生んで悲しい思いをさせてごめんなさいね
っておばちゃんに言いたいかもしれないなって思うよ。
そうでないかもしれないけれど、ね。
そう思いたい、わたしはね」

でもでも虫

わたしはたいてい、「でもでも虫」。
「でもでも虫」は、
人の話と自分の考えが違う場合に、
なにはさておき、
「でも」と言わずにはいられないのさ。

反省しよう。
(どうか少なくともあしたまでは覚えていられますように!)

きのうの反省・・・

きのう、”個人債務者再生”の手続きを進めている友人に対し、
「(どさまわりの歌手から頼まれたからって)
なんで2つも、(歌のカセットを)買ってあげたの?」
と言った。

「気にいったから。
おかあさんにもあげたかったから」
と彼女が言った。

「借金をあらかたチャラにしようとしている人が、
そんな無駄づかいをしていいの?」
とわたしは言った。

それでも、まだ伝わっていそうになかったので、
「借金がチャラになるということは、
誰かの財産が失われるってことだよ。
そのせいで、首を吊る人がいるかもしれないってことだよ」
と言った。

言いすぎではない、と、今も思う。
でも、言い方が悪いと、今は思う。

あらためて、
本当はどういえばよかったか、考えてみた。

セリフを巻戻し

「そうなんだ。気にいったんだ。
歌、すてきだったものね。
おかあさんも喜ぶね。
ふたつも買ってあげて、歌手の方、うれしかったろうね。
・・・。
それでね。思うんだけど、
気を悪くしたらごめんなさい。
〇ちゃんは、今、こういう状況だよね。
それって、こうだよね。
こう思うのだけど、どうなんだろう?」

「正解」 は、こんな感じだろうか。

わたしの修行は、はじめの一歩。
精進いたしたく存じます。